1. 幼少期における夢のリアリティと記憶
私の幼少期は、今振り返っても不可解な夢に満ちていました。特に印象的だったのは、白衣を纏った女性がいつも同じ古びたトイレの前に佇み、静かにこちらを見つめているという夢です。その光景は繰り返し現れ、夢と現実の境界が曖昧になるほどに鮮明でした。
また、私は夜ごと空を飛び、異なる街や風景へと一瞬で移動する感覚を体験しました。ある夢では、京都のような古都の石畳の道を歩き、和装の女性とすれ違った場面が記憶に残っています。別の夢では、名前も知らない南国のような島で、見たこともない植物に囲まれながら誰かと会話を交わしていました。
夢の中での物語が次の日に続いて展開されることもあり、前夜の登場人物が再登場したり、未完だった出来事の続きを経験するような感覚があったのです。それは、脳内のランダムな記憶の再構成というよりも、何か秩序だった別の次元への接触、あるいは過去の出来事を再体験しているかのようでした。
当時は無邪気に受け入れていましたが、成長するにつれて「それは一体何だったのか」という問いが芽生え、自分の精神性や無意識領域への興味につながっていきました。
2. 家族の背景と視覚化された記憶
私の母は、かつて中絶の経験をしており、それを私が物心つく前から話してくれていました。当時はその意味を理解できていませんでしたが、ある日、母が使っていた鏡壇の木目に、女の子の顔が浮かび上がっているのを見つけました。
その顔は、見たことのないはずなのに、なぜか心の奥に触れるような懐かしさを感じさせました。小さな目は潤んでいて、まるで今にも泣き出しそうな表情をしていました。ふっくらとした頬と、ゆるやかに揺れるような髪の輪郭が木目に重なって見えたのです。私はすぐに母を呼び、その現象を一緒に確認しました。母は長く無言で見つめた後、小さくうなずいたのです。
この体験は、単なる木目の模様ではなく、記憶や感情が視覚的なシンボルとして表出する現象——もしくは、まだ形を持たなかった魂がこの世に存在を知らせに来た瞬間だったのかもしれません。
3. 死別体験と感覚としての死者の存在
私にとって死者の存在が実感を持つものになったのは、祖父が亡くなった夜のことでした。夜中にふと目を覚ますと、祖父が私の枕元に座っていました。薄い光の中で見えたその姿は、上半身だけがはっきりしていて、微笑みながら「しっかりやれよ」と、あの頃と変わらない声で励ましてくれました。
私はその手を握ろうと、自然に手を差し出しました。確かに、その手はあたたかく、祖父のぬくもりを感じました。しかし数秒後には、その姿は静かに消えていたのです。
あの瞬間、私は夢特有の曖昧さではなく、確かな感触と明瞭な意識をもって祖父と対話していました。肌に伝わるぬくもり、祖父の声の響き、目と目が合ったあの感覚——どれもが現実と変わらないほど鮮明だったのです。これは夢ではない、感覚と意識をともなった霊的な邂逅でした。死者の魂は、記憶としてだけではなく、現実に存在の余韻を残し、必要なときに再び現れることがあるのだと信じるようになりました。
4. 上京後の居住環境と霊的感知
大学進学のために上京し、選んだ部屋は日当たりが悪く、空気がどこか淀んでいました。しかし立地や家賃の都合から入居を決意しました。
そこでは頻繁に金縛りに遭いました。身体は動かず、意識だけが浮遊しているような感覚、耳元で誰かが話すような声。夜ごと、布団の上を歩く“何か”の存在。これらの現象が重なるにつれて、私はその部屋に明確な“異質さ”を感じるようになりました。
後にわかったことですが、その建物自体が事故物件であり、過去に複数の事件が起きていたことを管理人から聞かされました。感覚と現実のリンクを目の当たりにし、「場」の持つエネルギーの強さを実感した出来事でした。
5. 海外滞在時に体験した超常現象
私はこれまでに16か国以上を旅してきました。特に印象的だったのが、オーストラリアでのシェアハウス生活です。3人のフラットメイトと暮らす中で、私の部屋だけがカーペット敷きで、他の部屋はすべてフローリング。
入居からほどなくして、再び金縛りが始まりました。そしてある夜、耳鳴りのあとに空間がねじれるような感覚が走り、白い影が足元に立ったかと思うと、両足首を明確に掴まれたのです。あの瞬間、恐怖で声も出せず、ただ祈るように意識を飛ばしました。
後に入居した別の住人が同じ現象を体験していたことを聞いたとき、私は確信しました。これは“人”ではなく、“その土地”や“空間”に宿る記憶とエネルギーなのだと。
例えば、過去にその部屋で何らかの強い感情や出来事が残された場合、その波動が空間に染み込み、感受性の高い人間に何らかの形で作用するのかもしれません。
静かな部屋の空気が急に重く感じたり、特定の場所に近づくと涙が出そうになるような感覚——それらは、ただの心理反応ではなく、場に残された“痕跡”に反応している可能性もあると私は考えています。
6. 心霊治療とエネルギーの移動体験
フィリピンを訪れた際、現地の心霊治療師に出会いました。施術の前夜、宿のシャワー中に突然「何か」が身体の中に入り込んできた感覚を覚えました。胸がざわつき、肩に異常な重みが乗り、言葉にできない不快感が全身を覆いました。
翌日ヒーラーにその旨を伝えると、静かに私の肩に手をかざし、深い呼吸を合わせるように指示してきました。数分後、体内から何かが“抜ける”ような感覚とともに、肩の重さが一瞬で消えていったのです。
この体験は、「見えない存在」と「人間の身体」が物理的・エネルギー的に接触しうるという実感を伴う出来事でした。ヒーラーは、私の肩に手をかざしながら「ここに重たいものが憑いています、これは怒りと悲しみをまとった存在です」と静かに語りかけました。
室内は明かりを落とし、蝋燭の火がわずかに揺れていたのを覚えています。深い呼吸を何度も合わせたその瞬間、肩の奥から何かが抜けていくような感覚が走り、身体の内側がすっと軽くなりました。
このとき私は、物理的な現象とは別の次元で、確かに“何か”と接触していたのだと確信したのです。この出来事は、私のスピリチュアルな探求をより深いものへと導く決定的な転機となりました。
7. 体験を通じて得た認識の変容
これらの体験の積み重ねは、私にとって単なる“思い込み”や“偶然”の連続ではなく、明確な現実です。
意識の構造、見えない次元の存在、場の記憶と魂の交流——それらは科学でまだ解明されていなくとも、私自身の中では「知覚された真実」として確立しています。
この領域は、宗教でも心理学でも説明しきれない“第3の領域”とも呼べるもので、私はその中で確かに“自分の居場所”を見つけました。
8. 次回予告:インドにおける宗教的実在との遭遇
次回は、私がインドで出会った“サイババ”と呼ばれる二人の聖者との不思議な出会いについてお話しします。アシュラムでの日々は、まるで時間が止まったかのような静けさに満ち、祈りと瞑想の中で、私は“物質化現象”と呼ばれる神秘的な力と実際に向き合うこととなりました。
その瞬間、目の前で起きた出来事は、これまでの現実の枠組みを超え、私の信念体系を根底から揺さぶる体験となったのです。
信仰とは何か、神とは何か、人はどこまで“信じる力”によって自分の世界を創り変えることができるのか——その問いの核心に触れるような体験が、インドの地で私を待っていたのです。
9. ご縁で繋がる、特別なあなたへ
ここまで読んでくださったあなたは、きっと偶然ではなく、必然の導きでこの文章と出会った方だと思います。 もしかすると、あなた自身の中にも似たような感覚や、言葉にできない経験が眠っているかもしれません。 これは、目に見えない力が静かに背中を押してくれた“魂のサイン”なのかもしれません。
この文章が、あなたの心の奥にある“気づき”をそっと揺らすきっかけとなれたら、こんなに嬉しいことはありません。
これからも、私の体験を通して、あなたと見えない世界を共に探求していけたらと願っています。
羽音 玲
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